すし酢の変遷

すし文化の発展は、酢とともに

江戸前鮨が赤シャリになった理由

稲作が盛んな日本では、古くから米を原料とした米酢がつくられ、調味料に活用されてきました。
一方、酒粕を原料とした赤酢(粕酢)づくりが本格的に始まったのは江戸時代後期のこと。
酒粕といえば酒造家が思い浮かびますが、かつての酒造家にとって酢づくりはタブーでした。
なぜなら、酒に酢酸菌が混入するとすべて酢になってしまうから。
そんな中、尾張(愛知県)半田村の酒造家・中野又左衛門が赤酢づくりを成功させ、広まっていきました。

ちょうどその頃、江戸ではすしが流行のきざしを見せており、赤酢は「シャリに合う」と評判に。
赤酢にはまろやかなコクと甘みがあり、当時貴重だった砂糖を使わずに美味しいシャリがつくれたことも、職人たちに好まれました。
こうして、それまで高価な米酢でシャリをつくっていた人気すし店が次々と赤酢を採用。
やがて赤シャリは江戸前鮨のスタンダードになっていったのです。

時を経て、赤シャリは世界的ブームに

江戸時代に根付いた赤シャリは、太平洋戦争終結後に発生した黄変米事件などの影響を受けて、衰退に向かいました。
しかし近年、その価値が見直されてきています。
大手回転すしチェーンが採用したことで、世間の認知度も一気にアップ。
今、国内外で新たなブームを巻き起こしています。

赤シャリに使われる赤酢は、その名のとおり赤みがかった色合いが特徴です。
それは、酢の原料となる酒粕を長期熟成させているから。
酒粕に含まれるタンパク質やでんぷんが、熟成の過程で麴由来の酵素によってアミノ酸と糖に変化。
さらにアミノ酸と糖のメイラード反応(糖化)が起きることで赤く色づくのです。

「旨み成分」として知られるアミノ酸を豊富に含む赤酢。
そんな赤酢の旨みをまとわせた赤シャリは、大トロや炙りサーモンなど脂ののったネタと相性がよく、舌の上で旨みの相乗効果が楽しめます。